大河ドラマ「いだてん」の第11話「百年の孤独」の、あらすじと感想をお届けします。
ついにストックホルムオリンピック当日がやってきました。
まずは開会式、それから三島弥彦の短距離走の出番ですね!
「歴史的事実」から当時のことはいろいろわかっていますが、それでも感動せずにはいられません!
それではあらすじから、見ていきましょう。
大河ドラマ「いだてん」11話のネタバレ!
ストックホルム大会開会式
1960年、昭和35年。
東京オリンピック準備中の田畑政治たちは、1912年「ストックホルム開会式」のフィルムを発見していた。
1912年、明治45年6月23日。
ストックホルムの日本人選手団は、開会式プラカードの表記でもめていた。
「日本でお願いします!」と譲らない金栗四三。
何で“JAPAN”などと、へんてこな名前で戦わなければいけないのかと憤る。
「世界に知らせる必要がある」と主張する大森兵蔵監督。
何があった?と嘉納治五郎先生は動揺する。
三島弥彦は治五郎先生の「12秒」発言で押しつぶされたとわめき出し、治五郎先生に背負い投げされてしまう。
「プラカードを持って出るのは私」と“肥後もっこ”精神で「日本」にこだわる四三、賛同する弥彦。
「頑固!」と大森安仁子。
四三は、くじけそうになった時、日本の面々を思い出して乗り越えたことを言い“日本”でないとやる気が出ないと言い張る。
「伝わらないぞ」と監督。
「頼もしい!」と治五郎先生は、自分の不在が成長を促した!と喜ぶ。
表記は「双方一理」との治五郎先生の仲裁により…。
『NIPPON』に決まる!
7月6日。
プラカードを金栗四三、日の丸の旗を三島弥彦が持ち、開会式に参列。
留学で居合わせた京都帝国大学の田島錦治教授と通訳のダニエルも加わり、嘉納治五郎と大森兵蔵の計6人で行進に臨む。
安仁子夫人がカメラマンを務める。
「ニッポン!」と客席でしきりに連呼するので、みんなもコールに参加してくれる。
「生きた心地ナシ」とは四三の日記のセリフだった…。
昭和。
無声映像を見守る田畑政治たちだったが…。
弥彦と日本の旗が来た!と思ったらシーンが切り替わるフィルム。
四三は写っていないのだった。
一方、安仁子の残したらしい写真は…弥彦が欠けていたのだった。
短距離走開始!
開会式午後は100m予選。
治五郎先生は「遠いよ!」と客席に不満だ。
外国勢の速さに驚く四三。
弥彦は控室で緊張していた。
実は3週間前の絵葉書では、実家宛てに「戦意喪失、とても走る気になれぬ」と書き送っていたのだ。
末尾には「三島家の誇りのために命を賭します」とあった。
東京の母・和歌子は「弥彦は薩摩隼人の意地で必ず勝つ!」と信じているのだった。
控室に駆け付ける大森兵蔵監督。
戦争を仕掛けるかのような態度の弥彦の心をほぐす。
「タイムを競うだけだ、選手のことは同じ敵に立ち向かう“同士”と思いたまえ」と言う兵蔵。
少し楽になりお礼を言う弥彦は「せめて3週間前に言ってほしかった」と笑うのだった。
「よし!」気合を入れて登場する弥彦!
「敵はタイムのみ!」と祈る監督
「我が友に勝利を!」と祈る四三。
スタート!
…無念の結果に言葉が出ない四三、治五郎先生。
「ビリですか?」、「いや、しかし立派な走りだった」と言い合う。
ところが、監督と弥彦が笑っているのを確認する四三。
「11秒08。12秒切りました!負けはしましたが、成功だと思っています!」と晴れやかな弥彦だ。
「実に立派だった」と大森監督。
治五郎は弥彦をねぎらい、安仁子は「ヒョウ…」と監督に抱きつくのだった。
「日本人には短距離は無理なようだ、キミにかかっている、たのんだよ」との、弥彦から四三への言葉だった。
その後、大森監督の病状悪化し、弥彦は200m予選敗退。
重い空気が日本選手団を包む。
プレッシャーに悩む四三そして朝太
そのころの東京。
孝蔵改め朝太は、橘家円喬師匠の高座にお供している。
「いいご身分だな」とオリンピックの新聞記事を眺める師匠。
朝太は「あたしと同じ名前の噺家がいますよ」と演目表に驚く。
“三遊亭朝太”が1番目に載っている?!
「あ、それお前だよ」と席亭に頼んだことを軽く話す師匠。
「できるよ」と師匠に言われても、初高座の日取りが16日と決まったとたん、緊張の朝太。
練習開始だ。
鼻をかんで、のどを湿らせ、「江戸と申しました時分に…」と始める。
けれど、気が付けば飲みに出て、車屋清さんに酒場で捕まる状態だ。
小梅と見に行くと言い「今度はしくじるなよ」と2度念押しする清さんだった。
“初めてとは要らぬ力がかかるもの”とのつながりだ。
ストックホルム、マラソンレース3日前。
何故か押し花をしている四三に、「大丈夫かキミ?」と治五郎先生。
四三は、焦ってモヤモヤして、気を静めたくなったとのこと。
「オリンピックで過重の責任を負うことはない」と励ます治五郎先生だった。
練習中ポルトガルのラザロに声をかけるが、真剣で無反応な様子に、緊張がとれない四三。
思わず弥彦を訪ねると、ふんどし姿で上半身を鍛えているのだった。
弥彦は400m予選前日だった。
「やはり日本人には短距離は無理」と自覚した弥彦は、明日も勝てるとは思っていないと語る。
しかし、走れることが楽しみだから「徹底的に負けてやるさ」と快活だ。
モヤモヤしている四三は、羽田の時には10里走れるか否かだけで迷いはなかったのに、と愚痴る。
弥彦は「精一杯走ればよか」とかつての四三の発言を真似する。
「それができんけん!」と怒る四三。
「キミが言ったんだろ」、「短距離と長距離は別」とケンカになってしまう。
マラソンは2時間以上あるから、と言い募る四三に、「プレッシャーだ」と教える弥彦。
プレッシャーは西洋人も、弥彦自身も持っていると聞き、何か腑に落ちる四三。
「正体さえわかれば、こぎゃんモン怖くなかです!」と意気が上がる。
「プレッシャーが大きいとスランプに陥るからねぇ」と余計な一言を加えてしまう弥彦だった。
弥彦、最高の走りを見せる
弥彦の400m予選。
大森監督の代わりに四三はコーチ役に付き、正面からの写真撮影も仰せつかる。
「2人だけ?」と治五郎先生。
選手5人中3人が辞退したらしい。
三島はいいスタートを切る!
「いけ!」と四三。
序盤は良かったが、やはり抜かされてしまう弥彦。
すんでのところで勝てなかった。
タイムは56秒、まあ準決勝に残れたのはスゴイ!と治五郎先生。
「準決勝はやめます」と弥彦。
日本人に短距離は無理です、100年かかっても無理です、もう十分走りました、察してください…そう真面目に言うのだった。
写真を全くとらなかった四三に「勘弁してくれ」と笑顔の弥彦。
「楽しかったですか?」と聞く四三に、「ああ!」と元気に返事する。
「ならばよし!」と棄権を認める治五郎先生。
世か走りでした、と四三は讃え、何度も弥彦の肩を叩く治五郎先生だった。
7月14日、マラソン競技当日。
白夜とプレッシャーで眠れなくても、水浴びと「ヒアー」を欠かさない四三。
「プレッシャーと二人三脚で走ります」と気持ちは固まった。
弥彦も水浴びに参加する。
「見事な走りでした!」と弥彦が鬼の形相だったことをほめる四三。
「笑ってゴールします!見とってください!」と笑う。
「今日も暑いぞ!」と弥彦は言うのだった。
大河ドラマ「いだてん」11話の感想
せっかく見せてくれたストックホルム開会式の白黒映像の場面では、本当にギャグのようにちょっと弥彦が映っただけで切れていて、苦笑いするしかない状態でしたね。
やはり「東洋からの初出場」といっても、選手2人プラス4人というメンバーが、あまり目を引かなかったのでしょうか。
一方あにこの写真では四三しか映ってなくて、まあバランスが取れていた、という感じでした。
四三と弥彦は緩急ついたいいコンビになりましたね!
弥彦の最後の走りを受け止めた四三の表情、そして、水浴びに付き合う弥彦のさりげない励ましの仕方が良かったです。
逆に「精一杯走ればよか」のシーンでは、視聴者としても突っ込みたくなるような、コントのようなやり取りも面白かったです。
ちょっと理不尽な四三が笑えました。
生田斗真演じる三島弥彦、100・200・400mに出場し、完全燃焼!
史実ではいろいろわかっていても、ドラマとしてみると、心に響くものがありますね。
例えば弥彦の400m予選のシーンです。
5人の選手中3人が辞退しても予選があったのは、相方がご当地のスウェーデンの選手だったからなのかな、と考えてしまいました。
また、弥彦が本選に行けるのに棄権したことについても、ドラマでの弥彦の雰囲気を見てしまうと、もうダメ出ししたくはなりませんでした。
Wikipediaには言い訳のような憶測も書かれていましたが、「楽しかったですか?」の四三の一言が、達成感あふれる晴れやかな弥彦の気持ちをよく伝えているな、と感じました。
短距離走は日本人には「100年かかっても無理」との弥彦の発言でしたが…。
ドラマ後に登場した朝原宜治元選手が2001年に10秒02の記録。
そして2008年の北京オリンピックでは塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治の4人が400mリレー銅メダル(のち銀に格上げ)をとったことを思うと、ほぼ予言は当たっていたのですね。