いだてん東京オリムピック噺

大河ドラマ「いだてん」の第6話「お江戸日本橋」の、あらすじと感想をお届けします。
羽田の予選会で世界新記録を打ち立てた金栗四三。

いよいよ選手団にご指名かと思いきや、問題点が浮かび上がり、スムーズには進みません。
それでは内容を見ていきましょう!

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大河ドラマ「いだてん」6話のネタバレ!

明治44年12月。

金栗四三は、足袋の播磨屋の前でモジモジしている。
車屋の清さんが通りかかり「世界新記録さんが謝りたいって」とフォローをする。
詫びを重ねる四三に、辛作は足裏を3倍に厚くした、特製の足袋を作ってくれるのだった。

その頃、嘉納治五郎先生は困っていた。
フランス大使館経由で「おめでとう、ストックホルムでお待ちしております」とのメッセージをもらったのだが…。
文部大臣も協力してくれず、選手団を結成する資金がないのだ。
1人最低1000円はかかるという遠征費用は、経理担当の可児先生の給料の7、8年分だ。
しかも、大森安仁子によると、マラソンの世界記録を22分縮めた話は世界で誤測と疑われているとのこと。
治五郎先生が不満をぶちまけるたびに、オリンピックポスターの額が落ちる。

選手5人は送り出したかったが、2人か1人の派遣がせいぜいだ、という相談になる。
・三島弥彦君には自費で行ってもらおう!
・金栗四三君の資金はどこかから借りて用立てよう!
そう決断する治五郎先生。

四三は、治五郎先生に呼び出される
「オリンピックの件だがね、晴れて日本の代表として君を送ることが決まった、スウェーデンは遠いが、精一杯戦ってきてくれたまえ」
そう言う治五郎先生。
「行きとうなかです!」と即座に返答する四三。
なに?!と、治五郎先生はじめ、フリーズしてしまう、大日本体育協会の面々だった。

オリンピックってなんですか

「もう一度聞く、行ってくれるね」と治五郎先生。
「いけません」と四三。
じゃあなんで世界記録なんか出したんだ、と大声を出す先生に、四三は語る。

自分はただ10里を走り、日ごろの成果を出したかっただけ、予選会ともわかっていなかった。
優勝カップの“OLYMPIC”の綴りも飾りだと思っていた。
練習も、ただ新しい足袋を試してしていただけ、と言うのだった。

「で、オリンピックってなんですか」との四三に、がっくりくる治五郎先生。
インターナショナルのスポーツと平和の祭典だとポスターを説明してもらう四三。
しかし「裸で?」とトンチンカンだ。
立派な理念に「負けたら切腹ですか、それだけお許しください」と土下座をして「生きて帰れんとです」と訴える。
「そんな奴だったのか」
「すいません」
「まったく、がっかりだ」
また、落っこちるポスターの額縁。

しかも三島弥彦も参加を断ってくる
「今年は卒業年度なので“かけっこ”で休んでいたら落第してしまう」と言う。
文部省のお偉いさんからも釘を刺された、というが、一番に家庭の事情があるようだ。

何が韋駄天だ、と自暴自棄になってしまう治五郎先生。
しかも、中国で辛亥革命がおこり、学費と生活の心配をする約100人の中国人留学生の面倒まで引き受けることになる。
「羽田ではよく働いてくれた、何も心配するな」と、治五郎先生。
しかし数億円の借金を背負い、生涯かけても返せないことになる、嘉納治五郎先生だった。

ストックホルムに自費でいく?

別の日。
四三は優勝カップを返しに校長室を尋ねる。
もじもじして座りもしない四三に、先日のことを詫びる治五郎先生。
今日のライトマン・治五郎先生は、金欠で力が入らないのか、柔らかに語る。

みんな君にオリンピックに行って欲しいと思っている。
マラソンにこそ新しい活路がある、学生が先頭に立って体育熱をあおるんだ!
勝海舟先生が渡航した日米修好通商条約の時代、ちょんまげに刀の日本人は野蛮に思われたことだろう。
何事も最初は辛いが、誰かが先頭を切らねば。

「今を逃したら4年後だ。頼む、君しかおらんのだよ」と頭を下げる治五郎先生。
四三はショックを受け、ついに座ってしまう。
「行きます」と小さな声で答える。
「金栗は行って精一杯走ってきます!勝敗のみにこだわらず出せる力を出し切ってきます!」

影で興奮しつつも、“金欠”のサインを送る可児先生。

「滞在費の件なんだが」と治五郎先生。
「ありがとうございます」という四三に、なんと「君が出すっていうのはどうかな?」と切り出す。

大日本体育協会が出すつもりだったが、それ自体が君を追い込んでいるのでは?
君が自分のお金で行くなら「負けたら切腹」などと悩む必要はない。

「そぎゃんですか」と何だか納得してしまう四三。
よし行ってこい、と言う治五郎先生は、あとで「なんか情けないなぁ」とぼやくのだった。

四三は実家宛てに1年ぶりの手紙を書く。

思わずオリンピック代表を引き受けてしまったこと。
ストックホルムは遠く、滞在には、約5ヶ月、どんなに切り詰めても1800円かかること。
どうかどうか工面していただけませんか…。

出すべきか否か、悩みぬいていると、後ろから子供にいたずらされて、つい投函してしまうのだった!

練習をする四三の“スースー、ハーハー”と、昭和の小学生がオリンピックについての教科書を読んでいる声がかぶる。

同じ条件のもとに技を競う
勝利を競いながら仲良く親しみ合う
世界最大の平和の祭典  などが朗読されている…。

芝から日本橋

明治45年。
若き志ん生の孝蔵は、橘家円喬を師匠と仰ぎ、弟子入りして人力車を引いていた。
円喬師匠は1日4件もの寄席を回っているのだ。
孝蔵の仕事もただの車引きではなく、修行の一環だ。
師匠は練習がてら噺を口ずさみ「耳で覚えるな、足で覚えるんだよ」と、孝蔵に言うのだった。
さらに「浅草から日本橋を一緒に歩いてみないと、落語の気持ちなんかわからない」とも教えられる。

昭和の志ん生師匠も、弟子の五りんに「弟子は師匠の噺を背中で聞くんだよ」と伝授する。
しかし「僕が知りたいのは、親父とお袋がどうやって知り合って僕が生まれたのか」とあっけらかんという五りん。
古典落語のようなファンタジーには興味がない、でもオリンピックの話面白かったのでまた聞きたい、という五りんと知恵だった。
五りんは師匠の練習を聞いても笑えず、母親の形見のハガキ「志ん生の富久は絶品」の意味を議論してしまうのだった。

渋滞タクシーの中の田畑誠二は「落語は志ん生に限る」とラジオに耳を傾けている。
「芝から日本橋まで走る馬鹿がどこにいるんだよ」と笑っていると、タクシー運転手が、ランニング姿のランナーにびっくりする。
「いたんですね、芝から日本橋まで歩く馬鹿」との志ん生師匠の声がかぶる。

明治。
芝から折り返し、浅草方面を走る四三。
日本橋の上で、車を引く孝蔵とすれ違ったところで、何故か鮮やかな花火が上がるのだった。

そして、九州熊本
兄に四三からの手紙が届く。
舌打ちをする兄からは、不穏な気配がするのだった。

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大河ドラマ「いだてん」6話の感想

オリンピック参加の資金難な一面、また金栗四三のピュアすぎる性格がクローズアップされる回でした。
校長室のオリンピックのポスターの額縁が何度も落ちるのが、象徴的で面白かったですね!
「行きたくない」と即座に返答した四三にもビックリしましたが、一応責任の重さを考えてのことだったのですね。
走ることを楽しんでいるだけ、名誉を考えていなかったのは、いかにも四三らしいです。
最初はかしこまって校長先生の前では座ろうとしなかった四三が、出場を承知した最後にはついにソファに腰を落としているのも、細かい演出でクスリときました。
中国人留学生の学費まで引き受けてしまい、ナレーションで、今から「生涯借金を返し終われなかった」とバラされてしまった治五郎先生は、今後どうするのでしょう。
また、家のために出場を断念している三島弥彦が、どういう成り行きで無事出場することに決まるのかも、全く予想できないので、こちらにも注目ですね。

金栗四三は、自費でストックホルムに行けるのか?

金策に困っている嘉納治五郎先生。
あまりの困窮にブラックモードが発動したのか、なんと四三に対し「自費」発言が飛び出しました。
キミの心の負担を軽くするため、みたいなことを言っていましたが、いくら何でもひどい話です。

明治時代後期の1円は、現在の3800円位の価値があった、というのが通説のようですが…。

ネットで調べてみると、高給取りの職人が月給20円くらいだった時代、1円には実質2万円の価値があった、という説もあることがわかりました。
そうすると可児先生の見積もり「1800円」は、現在の684万円から3600万円に相当するということになります!

これは四三の兄が怒ることは必至、次回は大変なことになりそうですね!

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