いだてん東京オリムピック噺

大河ドラマ「いだてん」の第38話「長いお別れ」の、あらすじと感想をお届けします。
昭和13年では嘉納治五郎先生が、昭和36年では志ん生師匠が倒れ、気持ちが落ち込んでしまいますが、師匠の方は無事でした!

しかし、歴史的事実を踏まえて、金栗四三や田畑政治の人生は暗い時代を進んでいきます。
ついにオリンピック東京大会1940に引導が渡されてしまうのです。

スポンサーリンク

大河ドラマ「いだてん」38話のネタバレ!

昭和36年の五りんたち

昭和36年12月、巨人軍優勝祝賀会。
乾杯で盛り上がり落語が聞かれない中で志ん生師匠が倒れ、舞台から病院にはこばれていた。
病名は脳溢血。
駆けつけた五りんは、最悪言葉が話せなくなる、助かっても大好きなお酒は一生飲めない…と娘の美津子や妻のおりんから聞いて、フリーズしてしまう。
病室で付き添う五りんの手には、父から母・リクにあてた『志ん生の富久は絶品』との絵葉書が握られていた。

そのニュースを聞いて驚く田畑政治。
昭和36年には、東京オリンピック組織委員会の事務総長になっていた。
政治は、嘉納治五郎先生から引き継いだストップウォッチを、今も動かし続けていた…。

東京ロリンピック返上

昭和13年、オリンピック組織委員会は暗い。
ギリシャからの聖火リレーについて話題にすると「異国から火を借りてくるなど言語道断、“神火”ではどうか」と陸軍の梅津美治郎が言い出す。
また、牛松市長が12万人収容の駒沢競技場の建設を提案すると、1000トンの鉄骨が必要だとダメ出し。
「いっそ木製のスタジアムはどうか」と梅津は言うのだった。
八方ふさがりに加え、イギリスとフランスが「支那事変の継続ある限り東京の応援はできない」と表明。
7月14日、副島道正委員は、東京オリンピックの開催中止・返上を決定。
IOCのラトゥール会長に『国内で最も嫌われた男』、『返上が半年遅れたら、どの国でも開催できなくなる』との手紙を書き送る。
世界地図を叩いてうなだれるラトゥール会長だ。

田畑政治は、苦渋の想いで神宮競技場へ金栗四三に会いに行く。
覚悟していたが、小松勝たちには言いにくいという四三、代わりに小松に向かって練習の不要を叫ぶ政治。
しかし小松は前向きだ。
「ヘルシンキに出るばい!」と練習を続ける小松に、つい「戦争が始まったら日本人は出られんぞ」と叫ぶ四三だった。

政治は『オリンピック中止』の記事を書きつつ、ストップウォッチを叩きつけようとして…我慢する。
止めずに大切にしまわれた、治五郎先生の時計だった。

復活の志ん生師匠、襲名の頃

何とか持ち直した志ん生師匠。
オナラも出て軽口も叩けるようになったが、半身が動かない、呂律も回らないで「酒でも飲まなきゃ」とダダをこねる。
五りんは気分を変えようと、老いた播磨屋の辛作から聞いてきた父親の動向を語る。
オリンピックを目指していたこと、中止になり兵隊に取られたこと、満州に渡ったこと。
ハガキのことで「覚えていないんですか」と質問を重ねるが、「飲ませてくれたら話してやる」と語ろうとしない師匠。
あげく、一升瓶で日本酒を用意させ、コッソリ飲んでは、美津子に「酒臭い?」と気にされる。
しかし、満州のことについては教えてくれないのだった。

昭和14年、ヨーロッパで第二次大戦が開始、ヘルシンキ・オリンピックも中止になる見込みだ。
四三は小松に熊本への帰京を勧めるが「箱根駅伝もあるし」と帰りたがらない小松。
スヤが見抜いた通り、増野リクにほれ込んでいるのだった。
神宮競技場の「戦技競技会」は若者が銃を片手に障害物競走を実施しており、「スポーツとは呼べん」と暗い四三。
「辛気くせーな」と、明るさを期待して四三を怒鳴りつける辛作に、スヤも同意する。
リクと小松は簡素ながら三々九度を迎え結婚。
祝いの席で父・増野は涙ながらに何度も震災でシマを亡くしたことを語る。
スヤが自転車節で場を明るくするようにつとめる中、「大切にしても腹が立つ、大切にしなかったら殺す」とすごむ増野だった。

その翌年秋、五りんが誕生した。
本名は“金治”、“金”は金メダルか金栗、“治”は治五郎先生だろう。
「昭和15年は“古今亭志ん生”を襲名した時だ」と志ん生師匠。
当初「代々短命の名前だ」と反対していたおりくを、孝蔵は叱り飛ばしていた。
「ご破算にしてやる、俺が長生きして、看板を大きくしたら早死にした師匠たちだって喜んでくれる」との言い分だ。
しかし、時代は取締方向に向かう。
軍人が高座を見張り「禁演落語」と指定した噺は演じることができないことになっていた。
禁止は艶笑物・残酷物など多数にわたっている。
「お上の顔色を伺っていて落語なんかできるか」と切れる、若き志ん生。
「ようがす」と、艶モノを得意とするのに淡々としている松尾。
ネタには困らないだろうと言われてしまい、「屁でもねえ」と言うしかない孝蔵だった。

神宮競技場と学徒出陣!

東條内閣が発足し、一気に軍事路線が進む日本。
昭和16年12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発。
朗報記事ばかり書き、ラジオに向かい、万歳参照する朝日新聞社の社員。
「嘘でも喜べ」と緒方部長に言われ、怒りながら万歳をする政治だ。

箱根駅伝は2年中止の挙句、昭和18年正月には「靖国神社箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」となり再開。
小松勝が走者を務めた最後だった。
兵力不足が深刻化し「学徒出陣」が発動、20歳以上の文化系大学生は徴兵対象となったのだ。
「立派に戦ってこい」と辛作やスヤ、「熊本に連れて帰ればよかった」とうめく四三。
「そうしたらこの子が生まれなかった」と、息子の頭を撫でる小松だ。
増野は小松を殴り飛ばし「約束を破ったな」と嘆く。
しかし「立派に戦ってくるんだぞ、お国のために」と言うしかなく、リクは千人針の腹巻を渡すのだった。
息子・金治を抱きしめる小松は「体が弱いから3歳になったら冷水浴をさせてやってほしい」と四三に託す。
涙を流して万歳する、一同だ。

昭和18年10月21日、「出陣学徒壮行会」が神宮競技場で盛大に開かれる。
治五郎先生がオリンピックのために作った競技場で…と、眉をしかめて雨の中参列している副島・政治・東医師だ。
出陣学徒が3万人、客席には5万人。
「オリンピックできたじゃん」と政治が嘆く。
前方に参列していた河野一郎議員を見つけた政治は、「これで満足かね?!」とくってかかる。
「オリンピックをやる、必ず、ここで!」と誓うのだった。

「天皇陛下万歳」を叫び、送り出される小松ら学徒たちだ。

スポンサーリンク

大河ドラマ「いだてん」38話の感想

歴史的にわかっていることとは言え、なんとも暗い時代の到来です。
“聖火”を“神火”に拍手とは、苦笑いするしかありませんでした。
ヒトラー政権のドイツはヨーロッパの国なのでこの辺には理解があったわけですが、そもそも「スポーツ」が根付いていない日本では「外国から火を借用する」感覚だったのですね。
学徒出陣の式典が神宮競技場で行われたという事態も痛々しかったです。
雨の中、嘉納治五郎先生を思い、鎮痛な表情を浮かべている政治たちの無念の気持ちが伝わってきました。
治五郎先生のストップウォッチが戦争を乗り越え、昭和36年にも動き続けていたというのは、唯一前向きに感動的な出来事でした。

五りんの本名と父親の進路が明らかに!

小松勝がついに出陣してしまいました。
前々回くらいからわかっていたことですが、やはり五倫の父親は小松でしたね。
五りんは、まだ小松が駅伝選手として走っていた頃に授かった子供ということで、本名も“金治”。
治五郎先生と金栗四三から名前をもらうとは、ニッチなあやかり名です。

五りんの大事な葉書の文言「志ん生の富久は絶品」は、師匠が満州へ慰問興業に行った時の出来事に由来しているに違いありませんね。
「覚えがない」から一転しての「親父さんのおかげで命拾いした」との師匠の予告の言葉が何を指しているのか、気になって仕方ありません。
また、美川秀信も満州で再登場の次回です!

いだてんの見逃し動画配信を見る方法は下記コンテンツに記載しています!

また1話から最終回のネタバレと感想もまとめていますのでよろしければあわせてご覧ください!

スポンサーリンク